2011年01月08日
スーパーカブ110 初ツーリング足柄4 足柄城址へ
スーパーカブ110 初ツーリング足柄4 足柄城址へ
神奈川県側の足柄峠からすぐ、足柄城址へと向かいました。
神奈川県側の足柄峠からすぐ、足柄城址へと向かいました。
足柄万葉公園よりS字カーブを越えると頭上に橋があります。
その先が足柄城址。
駐車場は車5台分くらいでしょうか。
石垣は当時のものでなくちょっと雰囲気でないですね。
足柄城・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
足柄城は天文5年(1536年)頃に北条氏綱によって築かれたと見られるが、正確なところはわかっていない。天文24年(1555年)に北条氏康がこの城に補修をおこなったとされ、これは氏康が三田郷(神奈川県厚木市)の百姓に足柄城普請の人足を出させることを命じた記録からわかっている。
永禄11年(1568年)に甲相駿三国同盟が武田信玄の駿河侵攻により破棄されると、この城の防衛上の重要性が増したことから、永禄12年から元亀2年(1569年~1571年)にかけて、大幅な改修を行っている。
武田氏滅亡後は、豊臣秀吉と対峙するようになり、天正15年(1587年)には北条氏光を城番とし大規模な改修を施し、天正18年(1590年)に小田原の役が勃発すると、北条氏忠をこの城の守将として配置した。氏忠は山中城(静岡県三島市)が落城するを聞くと小田原城に退却し、残された守備隊は豊臣方の井伊直政の攻撃をうけ、この城は落城している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
クリックで拡大(1,027×691:740KB)
足柄峠の由来について記載されています。
階段を40段ほど登ると・・・
右手には東屋と池!?水が無かったような・・・
そして階段正面へ。
冬の芝色が気持ち良いですね。
城の敷地内だというのに意外と凸凹。
その先には石碑がありました。
景色が気になってなんて書いてあるかみませんでした。
これから行かれる方がいましたら教えてくださいね。
そしてその先には細い間道。
枝が頭にぶつかりそうです。
(実は東側にも道があるのを後でしりました)
その先は丸太模造コンクリベンチと方位地図。
そしてその先を見上げると・・・
クリックで拡大(1,022×691:507KB)
どーーーん!
って、富士の雪の頂きが見えないのは予想してましたが・・・
それでも、物凄い絶景!
でもこんなロケーションなのに富士見百景に含まれてないのですよ!?
あの雲が無ければどんなに最高か・・・
思わず口で、ふーーーっ!と息で飛ばしたくなりました。
富士の積雪部分が見えました。
望遠で見てみると、肺というか、細胞というか、奇妙な模様、ちょっと気持ち悪っ。
富士の西側には愛鷹連峰。
この時間は逆光ですが雲間から差し込む太陽の光が神々しい。
南の方角には標高1,213M金時山。
そして富士の東側には大洞山(1,383M)と三国山(1,323M)。
当ブログFTRで富士方面、今一番走りたいのが三国峠です。
早く暖かくなり凍結解除が望まれます。
雲間はこんなにも蒼く、青く。
少しの間、空を見上げて物思いに耽りました。
今回の足柄城址、
富士の頂きが見えずちょっと残念でしたが、相当解放感に浸れました。
来て良かった、そんな瞬間です。
次は足柄街道ハイライト区間「金太郎ふじみライン」です。
Posted by るーぱ at 00:00│Comments(0)
│神奈川県足柄